藤岡宣男への御参りについて

アーカイブス(準備中)



  はじめに

 日本の伝統、古神道にて「神上がり」をした藤岡宣男は「藤岡宣男の命」としてお奉りしています。

 「歌の社(やしろ)」としての部屋を整備しました。

 予約することによって、お参りすることができます。

 それでは、お参りの仕方は、神道でと思われる方がいられるかと思いますが、日本の伝統である古神道には、こうでなければなりませんという限定した形はありません。

 すでに、お経を唱える人や、歌を歌う人、黙祷を捧げる人もいます。何にせよ、その人の心のあり方が、問題です。

 どんな形でも、霊位に対する方法は、構いません。

 勿論、藤岡もそれを望んでいることでしょう。

 人の心を頂くのが、神の世界です。

 また供物ですが、それも自由です。例えば、花なら藤岡が好きだった赤いバラ等、それも限定しません。
なお、お金を頂く場合は、早急に「藤岡宣男基金」を準備していますので、それを公の奉仕に利用させていただくことになります。

 生前、藤岡は、沢山お金を得たら、子供たちの教育のために利用したいと申しておりました。
それを実行いたします。

 

 古神道について、理解を深めたいという方は、まず万葉集をお読み下さい。

 その万葉集以前の人の所作を、想像してください。森羅万象、山川草木に至るまで、そこに神を観た列島の古代人のあり方を知ることで、古神道のあり方を想像できます。

 例えば、人の死を「雲隠れ」という表現を使うという心情は、決して、死んで無くなるということではなく、自然の中に充満するということです。崩(かむあがり)つまり、神上がり、神になるという表現をします。
人の体は自然の土に戻り、その霊は、神となるという単純明快な考え方でした。

 古事記や日本書紀以前の、列島の民族のあり方を探ることが、古神道でもあります。

 文献が無いから、事が無かったのであるという考え方は、暴論であり、思慮深い人は、書かれた物があるということは、書かれなかった物があると、感得します。
また、書かれた物は、それ以前に、思想や哲学があるゆえに、そこにたどり着いたと考えます。

 その証拠のない世界を、霊感によって知る、観ることが、学問であると、私は観ています。

               木村天山


■御参りのご案内

  

 2006年9月25日(月)は、一年祭 命上がり です。
一般御参りを受け付けております。是非参加下さい。

 遺骨を安置している「歌の社」にて、行います。

 なお古神道にて、行います。よって、礼拝の方法は各人自由です。
 お好きな形で、お参りできます。
 希望者は、事務所にお問い合わせ下さい。場所の地図をお送りします。

 3:00p.m.より追悼記念を行います。
 
10:00p.m.は、幽界入り
 10:30p.m.は、霊界入り

 一時間ごと、藤岡追悼、神上がりの祝詞の献上を行います。

 翌日は、一年祭の追悼コンサートを開催します。

2006年9月26日(火) 藤岡宣男命日祭コンサート