CTとしては、珍しく、は〜3点ハまでの3オクターブという広い声域を滑らかにつなげて歌うことができる。
常識を超えた音域の広さ、卓越した表現力、澄み渡る中高域と肉厚な低域、透明感のある声質、
人は彼をスーパーカウンターテナーと呼ぶ。    ---プロフィールより---



  告知板
by 木村天山(producer)
演奏会への出場希望の方々へ
藤岡宣男ファンの声


特集 藤岡宣男ファンの声  2007/7/9

 藤岡宣男ファンの声を紹介します。そしてファンの声を募集します。掲載します。
メールで送って下さい。

藤井ケイさんからのファンの声

〜天使の歌声との出会い〜

 私がカウンターテナー藤岡宣男さんの歌を最初に聴いたのは2002/6/15。カウンターテナーといえば米良美一さん(藤岡さんとは親しいらしい)がすでに有名。だが私はなぜかまったく気にとめていなかった。藤岡さんとはあるご縁があってオペラシティーでの公演に足を運ぶこととなった。クラシックは好きなので楽しみにしていたがそれは期待を超えるものだった。というよりそこには自分の知らない世界があった。私は時々女性の高い声を耳障りに感じてしまうのだけれど、それがまったくない。はしゃぎ過ぎることもなく落ち着いて楽しめた。イメージは空の青。決して黄色くならないどこまでも青く澄んだ声。少年の声に惹かれるものは以前からなんとなくあったがこのときは新しい発見だった。
 カウンターテナーの魅力とは何だろう?思うにひとつ他には代えがたいものがある。声の質の希少価値だ。なぜ希少なのが良いのか?クラシック音楽の楽しみ方はいろいろあると思うけれど、私はそこに神秘的なものの存在をイメージすることが多い。カウンターテナーの希少性はそれだけで神秘的という訳だ。中でも藤岡さんの声は格別に思う。その浮世離れした声は現実のしがらみを一瞬忘れさせてくれる。この日私は新たな楽しみを得た。今、芸術を探求したくて仕様がない。

〜藤岡宣男の魅力〜

 優秀なカウンターテナーの良さは優しさと深みだと思う。大きな下支えがあってその上に高い声が乗っているイメージ。どこまでも透明な湖を思わせるもの。藤岡さんの歌を聴くとそう思う。女性の声は優しいという観念があるけれど、そうではないと分かる。女性にも男性にも優しさがある。二つの性は相乗的に互いを高め合うことが出来る。最高のカウンターテナーとはそういうものなのだろう。だが藤岡さんの真の素晴らしさは別にある。それは「いつまでも聴いていたくなる」ということ。世の中には優秀な歌手がたくさんいる。完璧な技術の上にプラスアルファーの魅力を聴かせるスターがいる。が、私の知る限り、どの歌手も聴き続ければ飽きる。それが当たり前であり、意識したこともなかった。オーケストラなどではCDが終わった後もしばし放心状態で余韻に浸るというような体験を何度もしていたけれど、人の声でそのような快感を得られることはないと思っていた。私にとってクラシックは他の音楽と一線を画すもので、そう感じさせる理由のひとつが何度聴いても色あせないという点。マンネリ化しないのは、第一にそれが音楽を通して自分自身と向き合うことでもあるから。またそこに進歩を感じられるから。第二にクラシックが十分な懐の深さを持っているから。特にオケは聴いても聴いても聴き切れないボリュームで、毎回新たな発見がある。また演奏、演奏者が変ればすべてが一新する。音には視覚的、触覚的な表情、スピード感があり、楽器によって異なる。それらの重なり、交わりがオケの醍醐味だろう。メロディーだけでなく一音一音に意味を感じるのは映画や小説にも似ていて楽しみが奥深い。交響曲ではそのストーリー展開や場面描写がハマる。ときに自分もその中に入る。気が付くと中とか外とかいうのもなく自分の心模様そのものだったり。その代わり自分の体調、精神状態が悪いと聞き流すのも苦痛になる。多くの場合音楽は気分を盛り上げたり安らげたりするものだけれど、クラシックは心を無にしないと楽しめない。逆に言うとクラシック以外の音楽でそのような聴き方をしても意味がない。どういう聴き方をするかはリスナーの問題だが、ある種の音楽は絶対的に一定の水準が維持されなくてはいけない。そこに何かが在ると信じ、探し求めれば必ず応えてくれる音楽。集中が高まって、見える世界が変わることを私は知っている。常に真剣勝負。だからBGMにクラシックを流すこともない。他にいい音楽はいくらでもあるのだから。
 さてその藤岡宣男の力をどう分析したらいいのか。基本的に控えめな佇まいは聴いていて疲れない。持って生まれた繊細な声と大自然の力を感じさせるような豊かな声量、そのワイド感が気持ちいい。自然体で、例えば鳥が鳴くように、しごく当然のこととして声が出る様はそれだけで人を気持ち良くさせる。声を出すという行為を意識させないのだ。音楽をより深く理解し楽しむにはあらゆる雑念をなくして精神世界に浸りたい。技術的に気になるのは論外だが、それ以外にも邪魔になるものがある。聴き方、楽しみ方にもよるけれど、純粋に音楽だけを楽しもうとするなら演奏家の存在は消えるのが望ましいと思う。その点、藤岡さんは自然でわざとらしさがなく抵抗を感じさせない。これは彼の人間性にもあてはまるようだ。彼の声、表現は明と暗、陰と陽、外に向かうか内に向かうかのバランスが良いのかもしれない。聴き手はそのニュートラルな演出の中に無限の感情をイメージ出来るのだろう。強引過ぎず冷た過ぎず、楽しそうでいてどこか寂しげで、時に誘われそして追いかける。そんな音とのふれあいを通してやさしく音楽の中に導かれる感覚がある。また藤岡さんの声は他の歌手にない響きを持っている。ちょっと華やかで悲しげな、バイオリンにも似た。世の中には確かに、ただそれだけで心に響く音がある。心の言葉に同調するような。感情を誘発すると言うべきか。宝石より美しい生きた輝きに心あらわれ不思議と泣けることもある。それは人がまだ複雑な言語を持たず声の調子でコミュニケーションをとっていた時代の記憶かもしれない(言葉には束縛、限定といった負の側面がある)。人々が探し求めて来た、この世で最も美しい音に会ってみたい。私はオケ以外だとバイオリン系かクラリネット系の楽器しか聴かない。叩いたりはじいたりする音だけではどうしても一線を超えられない。ピアノは楽しいけれど気持ち良くはなれない。このことは人にとって究極の音が肉声の延長線上にしか存在しないことを物語っているのだろう。そして今それが人の声でもありうるのかもしれないと思わされる。どんな楽器にも勝る声の可能性を知った。カウンターテナー藤岡宣男の声は変な人間臭さや嫌味のまったくない、まさに天使の歌声だ。

〜コンサート2003/1/16〜

 コンサートに行って来ました。すみだトリフォニー小ホール、藤岡宣男カウンターテナーリサイタル和の心、洋の心<第2弾>ピアニスト小原孝とともに。錦糸町にあんな素敵なホールがあるとは知りませんでした。
 今回もいつものように藤岡さんの語りから始まりました。少し歌って楽屋にさがった後ずいぶん時間がかかったので心配しましたけど出てきたとき衣装ががらっと変わっていたので納得しました。その衣装がとても素敵で、後で聞くとご自分で選ばれるとのこと。そういうセンスのいい一面を知りました。ボトムは黒、トップは白いシャツの上に模様の入ったベストで首にマフラーのようなスカーフを巻かれてました。舞台に立つのが楽しそうに見えました。こんなところにも藤岡さんの才能、魅力を感じます。藤岡さんは舞台の上でとても堂々としています。お付き合いしてみるとそれが彼にとってとても自然なことなんだと分かります。持って生まれた性格ということでしょう。私が彼にはじめてお会いした時も何か特別なものを感じました。スター性というかカリスマ性というか。歌声の才能とそのような性格を同時に与えられたということに何か意味を感じます。彼はスターになるべくして生まれて来たのだと思わされます。
 コンサート終了後に聞いたのですが、この日は体調が悪かったそうです。それでも素晴らしい歌声を聞かせてもらえました。特に後半の日本の歌はすべてが完璧に近く聞こえました。徐々にエンジンがかかって来たということでしょうか。終わり良ければすべて良しということで、満足感充実感に満ちた帰り道となりました。そこにはアンコールの「初恋」を無意識にハミングしている自分がいました。

〜二人のカウンターテナー〜

 2003/5/16、日暮里サニーホールでのコンサートに行った。題して「二大カウンターテナー競演、名曲を歌う」。二大とは藤岡宣男と本岩孝之。
 藤岡さんと本岩さんは対照的と言って良いのだろうと思う。一言で言えば「柔と剛」というのが近いだろうか。それは音としての声だけでなく、歌い方、さらに大げさに言えば歌に対する姿勢のようなものの違いまでも想像させられる。本岩さんが誠実に全身全霊で歌い上げる印象なのに対して、藤岡さんは自然体で気持ち良く声が出るという感じがする。
 藤岡至上主義(?)の立場から言わせてもらうと、本岩さんのお陰で藤岡さんの良さがより際立ったようだ。一方、本岩ファンはそっくりそのまま逆のことを思ったのかもしれない。だとしたらこの二人は最高の組み合わせということになる。

〜天使がロックを歌う〜

 今回のステージは原宿にあるクロコダイルというライブハウス。楽器はエレキギターにドラム、そして巨大なスピーカーが並ぶ。勿論クラシックをクラシックとして聴くことは出来ない。理由は分からないが、いわゆる電子音的なものでは悦に入れない。音はマイクを通しただけで別物になる。クラシック音楽を楽しむというのはそれくらい微妙な作業だ。それは複雑な感情を持ち得た人間の最も高度な心の状態、私にとって実感できる唯一の芸術。ということで今回の公演はこれまでとは違う観点で捉えたいと思う。
 この類の場所にはもう10年くらい行っていなかったので、それがどのようなものだったかも忘れていた。久し振りに聞く大音量の、体に響く重低音のリズムは「ああ、こういう世界もあったなー」という感じ。否応なしに、半ば強制的に非日常の気分にもっていかれる。身を任せればただただ気持ちいい、ある意味クラシックとは対極の、受動的に聞く音楽。心をマッサージされるとでも形容しようか、動物的とも言えるだろうエクスタシーを味わえた。
 さて問題は藤岡さんの声との関係。先ず一言、悪くない。まあ悪い筈はない。いいものはいいのだ。そしてこの試みは面白いかもしれない。やはり藤岡さんの声には独特の雰囲気がある。それは中性的な魅力だ。これはどこに行っても変わらない。今の時代は中性的なものが流行ると思う。この先の展開が楽しみだ。是非、彼の歌唱力を活かせるような歌を歌って欲しい。例えばドリカムの吉田美和のように。 ただ、変な方向には行ってほしくない。ビートの効いた曲とオケを組み合わせる気持ち悪さを感じない人がいる。テレビ番組によくあり、耳を塞ぎたくなる。何かのセンスが欠落しているということか。それらすべてがマイナスに作用するわけではないが、先ずその難しさを知るべき。最後に、藤岡さんのお喋りが良かった。話の上手下手ではなく雰囲気のこと。自然体で堂々としているので場が和む。場所が変わっても彼のペースは全く変わらない。スター藤岡宣男の世界だった。